「ほこ×たて」のヤラセはやっぱり「下請け」が悪いのか?

窪田順生の時事日想:
 「ほこ×たて」がヤラセで放映中止になった。以前からドラマチックすぎる対決もちょいちょいあったので、「そりゃそうだよなあ」とさほど驚きもないのだが、今回ひとつだけビックリしたことがある。
フジテレビの手際の良さだ。

 10月20日に放映された特番内の「ラジコンカーVSスナイパー」が、事実と異なる編集がなされた、と出演者の広坂正美さんが所属会社のWebサイトで告発したのが、23日。直後から調査を行って24日の夕刻には放映中止を発表。ご丁寧に、放送倫理・番組向上機構(BPO)に報告までしている。

 7年前、系列局の関西テレビで起きた「発掘!あるある大事典」の時はヤラセを告発した週刊誌が世に出てから番組中止決定までかかった時間は4日。あの苦い経験を教訓としていらっしゃるのだなと感心する一方で、以下のような情報まで迅速に流されているあたりに、なにかしらの「意図」があるのではと勘ぐってしまう。

 石川綾一プロデューサーが現在海外出張中の広坂さん、模型メーカーの社長、制作会社スタッフに電話でそれぞれ事情を聞き、広坂さんの言い分が事実だと確認。(スポーツ報知)

 この対決は、番組制作会社の40代男性ディレクターが撮影、編集を担当。編集された映像は、フジテレビのプロデューサーがチェックしていたが、おかしな点は見当たらなかったという。しかし、調査に対し、ディレクターが映像を入れ替えたことなどを認めた。(読売新聞)

●制作会社による「単独犯」なのか

 こういうニュースを見れば、多くは「フジのプロデューサーは知らなかったのね」と思う。要するに、制作会社の「単独犯」という印象になる。

 わずか1日あまりの調査で、「番組に対して最終的な放送責任がある」(フジテレビと制作会社とのパートナーシップに関するガイドライン)というフジテレビプロデューサーを安全地帯へ逃がし、「下請けだけが悪い」とふれまわるのは、早々と「組織」から「個人」の問題へ目を向けさせようとしているのでは、なんて疑ってしまう。

 なぜかというと、実は「あるある」の時もこれとまったく同じ理屈で真相をウヤムヤにしようとしたからだ。

 総務省から原因究明を求められた際、関テレ側は、「ねつ造は孫請けの制作会社のディレクターの独断で行われ、下請けと関西テレビのプロデューサーが見抜けず、監督責任を果たせなかった」という調査報告書を提出。後にこれは突き返され、経営陣の責任まで追及されたが、関テレ側が「トカゲのしっぽ切り」で乗り切ろうとしていたことが分かる。

 前回の“失敗”を教訓にすれば、いち早く「制作会社のディレクターの独断」というストーリーを世に認知をさせようという戦略になる。「発表」が早いのもうなずける。

 本人もヤラセを認めているわけだから、フジ側がそう主張したくなるのも当然でしょ、というご意見もあるだろうが、今回の原因は「モラルの低い下請け」だけではない。「あるある」の時からなんら改善されないヤラセを育むテレビ局の「体質」にある。

 テレビ業界はご存じのように、広告収入が激減しており、そのあおりをモロにくらって番組制作費が大幅にカットされている。では、その皺(しわ)寄せがどこにくるのかといえば、下請けだ。

 番組のエンドロールを見ると分かるように、ひとつの番組でも、さまざまな制作会社が関わっている。こういう多くの下請けスタッフたちが、「ローコストで、いかに数字がとれるものをつくれるか」という熾烈(しれつ)な競争を繰り広げているのが、今のテレビだ。そこでジャッジの目安となるのが、「毎分視聴率」である。

●テレビの目的

 毎分視聴率とは、視聴率データの最小単位で1分ごとに測定されたものだ。そのグラフを見れば、どの時間帯に視聴者が離れたか、逆に食いついたのか一目瞭然。そういう意味では「株価」と似ている。フジにも出入りしているテレビ制作会社の社長が言う。

 「担当したVTRの時間帯に“波”が上がっていれば、“数字のとれるD”としてプロデューサーの覚えもよく次の仕事もあるが、“波”が下がっていれば次はない。こういう競争が激しくなると“面白い”ではなく“いかに波をあげるか”という発想にしかならない」

 「60秒後にあの有名女優が衝撃告白!」なんて煽りテロップはかわいいもんで、やがては実際に出演していないのに、「この後スタジオに登場!」なんてやってしまう。多少のウソをついても“波”をつり上げたい。いわば、「風説の流布」だ。

 こういうことを繰り返していると、感覚がマヒしてくる。「ストレート勝ち」だと“波”が急落する。だから編集で「接戦」に変えようとか、猿の首に糸をまいて、ラジコンを追いかけているように見せかけよう、というディレクターも出てくる。これがテレビにおける「粉飾」。つまり、ヤラセだ。

 企業の目的が「利益」になると、そこにいる人々は何をすべきなのか分からなくなり、「利益を作り出す」ことにしか邁進しないようになる、とドラッカーは言った。そのとおりのことがテレビ局で起こっている。

 テレビの目的は何か。マジに考えなくてはいけないところまできてしまっているのではないか。