被爆者として平和活動率いた山口仙二さんが死去

被爆者の代表的な存在として平和活動を率いた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)顧問の山口仙二(やまぐちせんじ)さんが6日午前9時36分、亡くなった。

 82歳だった。告別式は8日午後1時、長崎県雲仙市小浜町北本町の来迎舎小浜斎場で営まれる。自宅は同市小浜町北本町。喪主は妻、幸子さん。

 山口さんは14歳の時、爆心地から1・1キロで被爆。1956年に長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)設立の呼びかけ人に名を連ね、政府に対して放射線被害に対する援護を求めてきた。82年には米ニューヨークの国連本部で、やけどの跡が残る自身の写真を掲げ、「ノーモア・ヒバクシャ」と訴えるなど、核兵器廃絶に取り組み続けた。