飯島 愛(いいじま あい、本名:大久保 松恵(おおくぼ まつえ)、1972年10月31日 - 2008年12月)は、日本の元タレント・元AV女優 東京都江東区出身 滝野川女子学園高等学校中退
元ワタナベエンターテインメント所属。身長163cm 血液型:A型

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飯島愛の履歴
★1992年、AV女優となる。
本名が「大久保松恵」であることは2007年4月8日放送分の『ウチくる!?』にて、中山秀征により公表された(その後、2007年5月2日に自身のブログでもさりげなく公表していた)。
生年月日は、当初は1973年8月25日と公表していた。本人の弁によれば、デビューしたのが夏で、すぐに芸能界からいなくなるからその前に誕生日が来ればプレゼントがもらえると思って8月生まれと言った、とのこと。その後も、1973年8月25日生とする資料がある。
芸名は水商売時代、所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて「愛」という源氏名を付けてくれたことによる(自著「プラトニック・セックス」より)とあるが、以前テレビ番組で「ラブ」という源氏名を自らつけたことを告白している。「本名が垢抜けないから好きではない」と、思い切った名前をつけた。その後に勤めることになったクラブのママが「ラブ」を転じさせ「愛」にするよう指導し、理由は後付で、客に紹介する際に「みんなから愛され〜」のくだりが確立された。
芸名に「飯島」という姓がつけられたのは、当時の所属事務所社長(オフィスレオ)が飯島直子の大ファンだったため。飯島直子側はこれを快く思っていないと報じられることが多く、「W飯島」と括られることもあるが共演はほとんどなかった。しかし飯島直子が2006年10月に「ウチくる!?」に出演した際、両者の不仲説を明確に否定した。なお、この2人の数少ない共演として1994年10月30日の日本テレビ系『スーパージョッキー』がある。
★1990年代前半、とんねるずのみなさんのおかげですのスタッフととんねるずの木梨憲武が、飯島のビデオのファンであったことから番組にハプニングゲストで出演(これがテレビ番組初出演になる)。
★1990年代前半、深夜番組「ギルガメッシュないと」(テレビ東京系)で、スカートをめくり、世の男たちに活力をあたえた。『Tバックの女王』と呼ばれる。その後、次第に大人の女性としてトーク番組等でバラエティタレントとして活躍していた。タレント活動時は気だるく重い口調が特徴だった。
★1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。オリコン87位。このCDには飯島が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されていた。
★2000年、半自伝的な小説「プラトニック・セックス」でAV出演や性病感染、整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、以来作家活動も行っていた。週刊朝日にコラム「飯島愛の錦糸町風印税生活」を執筆。また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。
あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!にゲストとして呼ばれた回数No.1。奢った金額トータルもNo.1。放映開始1周年を記念した回では伊倉一恵の「本の印税で益々景気がいいに違いない飯島愛さんに、オヤジ三人がおごってもらう」との冷静なナレーションの中、登場早々に高田純次らに「金おろせよ」と言われ、銀行のATMから100万円を引き出す。途端にオヤジ三人のテンションは高くなり、「よし、100万円全部使い切るぞ!」「俺達いい仕事するからな」と散々。飯島は抵抗・抗議したが、無論受け入れられず。(エンディングでは、60万円弱を使った旨、明細が出ていた)
更には、番組最終回の打ち上げパーティーと称して高級ホテルの宴会場を借り切った際、実は招待客にパーティー費用を支払わせようという魂胆を知らされずに会場へ登場。総額100万円をあわや飯島一人で支払わされそうになった。
ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多かった。例としては「スパスパ人間学!」、「決定!これが日本のベスト」、「ロンドンハーツ」等がある。
胸や顔の整形等についてカミングアウトしていて、自らのスッピンネタ等自虐系の発言も時々する。そのメイク技術はテレビ番組『くりぃむナントカ』でも、「飯島さん、メイクの本を出すべきですよ!」と言われたほどだった。
★2005年にブログを始める。同年、ネット配信番組に連動した株取引に関するブログも、短期間公開された。
★2006年11月11日、個人事務所の経理担当の人間から数千万円もの横領被害に遭ったことをブログで告白した。
★2007年3月31日、所属事務所から正式に芸能界を引退することが発表された。
★2008年12月5日、最後のブログを更新する。
★2008年12月24日、東京都内のマンションで死亡しているのが発見された。

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